
結論:天才は生まれか、育ちかによるものではなく、才能と環境の相互作用による結果である。
才能を測定する方法にIQ検査や知能指数がある。それは才能は遺伝子的に定まっている前提がある。地層下に眠る化石燃料のようなものであり、採掘すれば莫大な恩恵と成果が約束されるとしている。しかし、本書では才能はそこかしこに豊富に存在する風力のようなものであり、非顕在的可能性を言う。遺伝子がどう発現するかは環境からの働きかけ次第で決定される。例えば、悧巧ネズミと愚鈍ネズミの異なる環境下での失敗の度合いを計測する実験では、環境次第で遺伝的な違いは消失した。つまり、遺伝子はあらゆる部分に影響を与えるが、何かを厳密に決定することはほとんどないという。イナゴは劣悪な環境下では筋肉を発達させ移動し、ウミガメとクロコダイルは狭量な環境下では性別さえ変える。
知能は生まれたときから決まっているものではなく、ダイナミックな動きをする展開し続けるプロセスそのものである。タクシー運転手の海馬後部(記憶をつかさどる部位)の大きさは運転手の経験レベルによって変化するとし、能力には可塑性、つまり自分の求める通りに変化してゆく性質が認められる。
グレートネスギャップとは並外れた成功者と凡人の間には埋まることのないどこまでも深い溝。しかしニーチェによるベートーベンの記述の引用は、大作曲家がメロディーの断片をあれこれ試作し、修正するプロセスに時間をかけ、苦心を重ねたことが明かされている。また、ベートーベンの父のテクニック重視の教育方法や早期の音楽教育への意欲は20世紀の音楽教育家に広く取り入れられた。その道を究めるには 真剣にひたむきに要求しつづける必要があり、倦まず弛まず、そのプロセスに参加するものがたどり着ける。十分条件ではなく、必要条件として10年間で1万時間を費やすこととされる。
遅咲きと早咲きの人生があること自体、才能はプロセスであることを物語る。IQ180以上の被験者は思ったほど人生で成功していないのは、子供と大人の世界(正解のある世界とない世界)ではスキルセットの種類が違うからであり、子供のころの成功体験からくる心理状態に行く手を阻まれることがある。遅咲きの人生は衝動に突き動かされることがあり、強い向上心は複雑にもつれた実世界の力学によって発達し魂に定着する。
本書はどんな分野のどんなレベルであれ、何かを達成することを切に願う人への呼びかけである。資質はもって生まれた不変のものではなく、構築することが可能な常に発達しつづけるものである。
では天才をになるには、・動機を見つける。・自分を厳しく批評する。・ダークサイド(苦々しい後悔・責任転嫁)に注意すること。・自分の限界を見極めたうえでそれを無視すること。・満足を先延ばし、充足にあらがうこと。・ヒーローを持つこと。・指導者を見つけること。がポイントである。
才能とは個人的な問題ではなく、環境との影響下にあることが明示された以上、環境の積極的な関与により天才をはぐくみ個人の成功を後押しすることが可能となる。そしてそれは社会の義務でもある。優れた業績は比較と競争に根差しており、文化の華ひらくクラスター期にはコンペティションの開催が盛んであった。また競争心を十分に奮起されたうえで、競争心が旺盛でないクラスをつくることも担保しなければならない。
われわれ全員がもっている天才的な能力は、手を携えとともに向上する力であり、自分と自分を取り巻く世界を向上させる力である。