
漠然とした不合理を突き詰めると国家や法、行政制度の不備が浮かび上がり、この社会を生き抜く武器のひとつに「リバタリアニズム」は有効であろう。
リバタリアニズムは経済的自由と財産権、精神的政治的自由を最大限尊重する立場にある。
本書のポイントを勝手に三つに絞ると
1.自由の領域は、身体と財産によって画されていている。
リバタリアニズムが定義する自由は物理的な身体と財産であり、その領域内においては直接支配性及び排他性を備える。
他人の自由を侵害しないかぎり、その自由は許容される。そこで、自己の身体性の自由度を高めると、自己の奴隷契約、臓器売買、売春、代理母、尊厳死等の倫理の壁にぶつかることになる。
2.被害者なき犯罪は非判罪化すべき。
リバタリアン的な国家の役割は、国防・司法・治安・公共財の供給に留まる最小国家論にある。よって大麻等他人の自由権利を侵害しない被害者のない犯罪は非犯罪化すべきとする。現行の司法は長時間、権利の実現に債務名義の獲得は資さない等の問題より民間による代替的紛争解決サービス(ADR)が有用である。加害者の処罰より被害者への損害賠償をより重要視すべきとされる。
3.経済的不平等は不正ではない。
所謂格差については明示されていないが、容認されている。「異なった人々が自由に行動する限り、彼らの経済的な境遇に差がでるのは当然である」とされる。富の再配分については批判的な立場にある。