『隷従への道』 フリードリヒ・ハイエク【導入編】

920年代英国経済は停滞し、新しい思想である計画経済が光りを浴び、熱狂を以て民衆に迎えられ、英国伝統の自由主義は経済停滞のやり玉に挙げられた。金融危機のなか、科学的な計画経済が熱望されたものの、その計画経済の中身を知る者はなく、停滞した市場経済を放棄し、政府による統制が戦後も継続することをハイエクは懸念していた。

1917年ロシア革命により、地球上に初めて共産主義国家が誕生すると、フェビアン社会主義者は「ソビエト社会主義は新しい文明」とし、カール・マンハイムは「計画経済は必然であり、理解していない人はいない万能薬」と言い、共産主義、リベラルを問わず、計画経済はあらゆる思想に受け入れられていた。また、失敗した資本主義と全体主義の中庸として計画経済は、当時台頭した科学的アプローチを反映し、進歩主義的信念に照らし迎えられていた。1942年英国労働党は『古い世界と新しい社会』で計画経済の優位を語り、ベヴェリッジ報告では、国家の介入による福祉国家への期待をふくらませた。

自由主義と民主主義の偉大さと社会主義批判を重ねるハイエクは英国では非主流派であり、米国で版元を探していた。

 

1943年8月フランクナイトは「見事な成果」と評し、ヤコブ・マルシャックは「学問的な議論を巻き起こすだろう」とした。そして「road to shelfdom」は1945.3.10英国刊行、同7月オーストリア刊行、同9月米国刊行。その後1945.4マックスクートマンによりダイジェスト版が作成され大ヒットすることとなる。・歴史的認識が不十分・建設的提案が乏しい・市場社会主義への言及が欠落している等により批判が多いものの、自由民主主義が国の宝であり、戦時体制が市民社会に及ぼす影響力など、今日的な意義は大きい。ハイエクは1974年ノーベル経済学賞を受賞している。