父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話

 ギリシアの元財務大臣ヤニスバルファキスが娘から「パパ、どうして世の中にはこんなに格差があるの?人間ってばかなの?」と問われ、その答えに納得しなかった娘にもう一度適切に答えるために書かれた著作。娘のために一冊の本をしたためるあたり、同じく娘を持つ身として共感しうるものもあったが、僅か9日間で本書を書き上げたというからその才には驚きだ。本書はこの問いを軸に、一万年以上もの経済の歴史を駆け巡り、答えを展開している。構成は問題提起とその答えであり、脱線もなくシンプルでわかりやすい。表現が平易で、叙述が詩的であり、誠意と希望が筆先より伺える良書。

 

 結論から言ってしまおう。なぜ格差があるのか?それは蓄積された余剰が支配階級に偏り、さらに権力階級が余剰を長い間独占してきたため。このあたりの記述はジャレドダイアモンド『銃・病原菌・鉄』の影響が大きく、詳細さではそちらのほうが優っている。つまりは、狩猟採集生活の食料は保存のきかない生鮮品でその日の食料はその日で消費されていたが、農耕社会の食料は大麦小麦等長期保存を可能にし、食料の備蓄が可能になった。共同倉庫で備蓄された穀物には記帳の必要性から文字が発明され、記帳文書はそのまま穀物の貸し借りに利用され、この貸し借りから格差の歴史が産声を上げる。という訳だ。では次の疑問。誕生した格差はいかにして、巨大化し固定化したのか?である。一般的に生産には三要素がある。資本・土地・労働力。これらが欧州大航海時代に、「囲い込み」により突如市場社会に取り込まれ、交換価値が経験価値より優勢になり、すべてが売り物、商品化した。封建制の終わりは農奴を個人事業主に変化させ、事業開始にあたり借金をすることが必要となり、借金をしなければ競争に勝ち抜くことが不可能となった。こうして金融は誕生する。銀行は国の庇護の元、事業を行い、政治の世界は銀行を利用する。両者は持ちつ持たれつの関係に。金融は政治化しマネーは偏在化した。商品化した労働力は、狩人のジレンマ、悲観の誘因力により、市場均衡を達成することが出来ない。資本財はテクノロジーの発展により、誰も働かない社会、利益がどうでもよくなる社会、すべての人が平等に社会の富を享受できる社会を達成するはずであったが、一部のものがその富を独占しているからテクノロジー革新で格差を埋めることは出来ていない。また生産要素である土地も破壊をより選好する市場システムにより、格差拡大が広がっている。三要素はそれぞれ商品化のアクセルを踏み続け、一途に格差拡大を広げてきている。ではその答えは?「すべてを民主化しろ」が著者の答えとなる。金融を、労働を、テクノロジーを、民主化することで格差は無くなってゆくという。

 

 最後に、反論。商品化の世界もそれほど悪い世界ではないじゃないかと思うという主張。商品化の世界では、アイフォンやアマゾン、SNS等により、とても便利で楽しく豊かな生活で満たされ素晴らしいのではないか。次に金融とテクノロジーの民主化は本書内でその具体策に述べられているが、労働の民主化については見受けられなかったが、ここはどうなのだろうかという点。とかあるけど、商品化の世界はたぶんダメなんだろうなぁと思える。たとえば商品化の世界とは人を支配するために、物語や迷信に人間を閉じこめて、その外側を見させないようにしている世界とされ、マスコミもそうだし、巨大ECサイトもそうだし、便利な電子機器もそれに当たる。そんな世界は楽しく豊かで便利なんだろうけど、最も大切な自由さが奪われているように思える。