
シンギュラリティ(真の意味でのAIが自分自身より能力の高いAIを作り出すようになる地点)が到来し、人類はAIに支配される。SF映画の話ではなく、AI技術が日常生活に入り込むようになってからいよいよ本気度を増してきている。しかし本当にそうでしょうか?
本書は2019年ビジネス書大賞を受賞し、メディアにも取り上げられた話題の書である。著者は新井紀子。現在は数学者であるが、大学時代は法律学部で学んだという異色の経歴。アカデミックな世界の人物であるが、倫理観と責任感の強い性格のようでその様は著作の中にあらわれてくる。
一見して昨今巷に溢れれるAI本の一種かと思われ、AIのことを語るかと思いきや、流れは第3章からがからりと変わり、著者の趣旨もそこからギアが一段シフトアップする。
国立情報学研究所教授で、「ロボットは東大に入ることができるかプロジェクト」のディレクタである筆者は「シンギュラリティは到来しない」と断言しながらも、人類はAIに仕事を奪われると危惧している。AIはコンピューターであり計算機に過ぎないので、指数的に進化したとしても、人類の知能の一部しか超えることはできない。AIといっても万能知能ではなく、得手不得手がはっきりしているからである。だが、AIは人類を支配するほど、万能ではないが、人類の強力なライバルになるという。東ロボ君はすでにMARCHや関関同立合格の偏差値を有している。そのレベルの偏差値であるなら、AIに負け、職を奪われる未来にしかない。
AIは英語の単語を覚えたり、世界史の年表を正確に記載することは最も得意とする分野であるが、教科書の意味を理解すること不得手だというのです。というか意味は理解できないらしい。現実の中高生はどうでしょうか。そのようなタイプの学生だらけではないでしょうか。英単語は覚えているが、読解ができない。歴史の年号は覚えたが、背景はまるで分らない。このような生徒たちがやがて労働市場に参加した時、どのような結末をたどることになるのか。悲観しかありません。著作の見通しは悲観的である。しかし、扇動的ではなく、全国読解力調査や現場の教師の危機感等から科学的な結論として述べられている。最悪のシナリオとして、大学卒のホワイトカラーはその能力に応じて分断され、デジタル経済が、足枷となっていた過去の経済を清算し、会社が消滅する。そしてAI世界恐慌が来る。という。
最後の最後まで、きわめて悲観的な論調の著作である。これをどう読むかは読み手次第である。
2018年2月15日第1刷発行