せっかちな春

大概、私もよくせっかちと云われるものだが、今年の春にはかなわない。実にせいている。あまりのその急ぎように子の行く末を案じる親心のようなものまで頭を擡げている。忘れ物があるんじゃぁないか、途中の坂道でつまずくんじゃぁないか。入学式を迎えるころには青々とした葉桜の木漏れ日が、真新しいランドセルと小さな歩みを照らしているだろう。縦横に張り巡らされた水路を勢いよく走る冷たい水が、代掻きを終えた田圃を湛え、真っ青な空を映し出ししている。買いそろえられた新しいスニーカーは下駄箱の上に揃えられている。