
午後の四時から農業委員会。事前に事務局に質問して疑問的は解決して赴いた。総会後は委員の皆さんと反省会。その場、ひょんなことから土地は誰のものなのかという話になった。なるほど確かに、現行法制下においては財産権は保証されており、登記制度の下、所有権は公示されている。であるならば、所有権を有する個人が土地を持っているということになる。そりゃそうだ、そんなことは重々承知している。だけどだ、だけどだ。それを踏まえた上で、土地は誰の物かとそこまで問われれば、たぶん、だれのものでもないという話の流れなのだろうか。敢えて特定すれば神様のもの?。その話をふった方の意図としては、時代的に古いような話をしておられた。所有権は近代的なものだと思う。占有権や使用権はだぶんプリミティブなものだと思う。例えば土地利用を制限する各種法律は所有権の力の源泉を封じ込めようとしている。その力が解き放たれることを極度に恐れているような節があって、何重にもフィルターを被せている。・・・話がそれた。この国は農耕社会で、その中心に稲作があって、その労働と暮らしの中から発生した知識と知恵の体系が文化を成している。それは秋祭りの細部を眺めれば分かる。富と文化の源泉は土地であり、地面である。豊饒をもたらし、衰退と発展は土地利用による。だとすれば、土地は個人の所有権の枠に収まるものではないだろうというのがたぶん、その方の云いたかったことでなないかと推察した。その方は千鳥足で同じ話を何度もするものだから、答えは夜気に紛れてしまったが。