
気持ちの花咲く時もある。心はずっと奥の方にあって、普段は目にすることもできない。そもそも形なぞ無いのだから取り出して見せることも出来ない。どんな形をしていて、どんな色をしていて、触ったらどんな感触なのか、分からない。けれど、それを目に見えないからといって、ああそうですかと済ませることが出来ないときもある。形にすることは出来ないけどそんな心を代弁させることは出来る。花は気持ちである。「花≒心」と言っても過言でも、装飾でもなく、適時適切な表現である。花は物体ではなくて、心なのである。それは察するべきものなのである。