できることできないこと

長男にとって折り紙は未だ持ってブームの最中で、ことあるたびに、○○作って!と折り紙とつくりかたの本を持ってくる。それでも当初に比べれば折れるものも増え、自分一人で出来れば、自慢げにうれしそうに出来た!と云って持ってくる。山折り谷折りといった簡単でわかりやすい折り方は良いのだが、中折りや被せ折りといった三次元チックでやや複雑な折り方が出来ずにいて、その順番になるとやって!といって持ってきていた。しかし昨夜は、お風呂から上がると、「中折り、出来た!」と自慢げに持ってきた。確認すると確かに出来ていた。しかし何を作る最中の中折りなのかは分からない。中折りの為の中折りなのかもしれないし、或いはたまたまだったかもしれない。まぁ良い。上機嫌は続き、「辛いの食べれる。わさびも唐辛子も少したべれる。」と、「甘いの食べれる。少しだけどね」と。更に「熱いのも食べれる。」続いて、「冷たいのも食べれる。ブルブルしないよ」だと。「大きいキノコは食べれない」と最後締めまで用意してくれた。子供と大人で、男と女で、金持ちと貧乏で、若者と老人で、健常者と障がい者で、その他様々あらゆる境界線を付与する分類範疇で、出来ることと出来ないことの差は様々で、一方の者は他方の者を、他方の者は一方の者を、簡単には理解できそうもない。それでも立場違へど、である。世界のニュースの話なのである。