
人は高貴であり衆愚である。風雨に打たれながらも敵の意を汲もうとする人のひたむきな誠実さは高貴に輝いている。人の誹謗中傷のみを発し自らの置かれた立場の不遇のみを謳う歌はやるせない疲労を押しつける。しかし、それ以上に、人の弱みにつけ込み自らの立場を確かなモノとし、利をむさぼる様には疲労以上の疲労「感」を押しつけてくる。心がざらつくのがわかる。マラソンランナーが40km走ることに疲労感はなかろう。赤ん坊が40mハイハイすることは疲労感だろうか。行きたい処があって欲しいモノがあって、思うように体が進まなければ、疲労感を覚え、ぎゃーぎゃーと泣くだろう。頭と体のギャップといえばどうだろうか。バラバラになるほど疲労「感」は募ろう。人は高貴であり衆愚である。