
内閣総理大臣談話を発表。所謂戦後70年談話。印象は「長いな」と「丁寧だな」というもの。かつての村山談話、小泉談話が比較的短文で説明文で、まるで家電の取扱説明書みたいな印象だったのに比して、文章のタイプが異なる。散文で、小説的で、物語的である。安倍談話は時間軸を追い、丁寧に、説明している。これは、極めて慎重を要される内容をアジア諸国が注目しているなかで、自らの認識を開示するにはこれほどの長文に成らざるを得なかったのだろう。その様はどことなく、司馬遼太郎的な匂いもしてくる。ここらは意図したのかもしれない。しかし、司馬遼太郎は廬溝橋事件以降の日本を題材には取らなかった。そして文体が異なる。戦前は司馬遼太郎的、戦時は無辜の民的、戦後は・・・。一番の気になるのは戦前の日本の政治体制を「国際秩序への挑戦者」と表現したこと。どーなんだろう。しかし、談話でのクライマックスはたぶん「あの戦争に何ら関わりのない、私たちの子や孫、そして先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という一点につきる。これを受け入れられるのか、これさえ受け入れられないのかで、この談話の価値は決まりそうである。