その人となり

JCでもないのに握手を求めてくる人はその人以外にあまり記憶がない。手は厚く堅い。祝祭日には国旗を掲揚して、大相撲の星取り表を記し、「おぅ!げんきで!またきんしゃい!」純度の高い博多弁で鷹揚としゃべる。喪主の挨拶によれば、非常なるワンマンで、頑固だが、生け花をする繊細さもあり、困った人を放っておけない親分のようであったと。75年の付き合いになった友人の弔辞によれば、ラグビーを三年の時からレギュラーになり一緒に全国大会で花園に出場し、二回戦まで戦ったそうであると。農家の生まれの長男で、その他兄弟は大学へ進学して行ったが、当人だけは家業を継ぐ為居残り、学業もさせてもらえなかったという。農家に迎え入れた妻は働きもので貧しい実家の為尽力したが、それを良しとしない家との折り合いの悪さから、子ある身であったが、全てなげうち、全てを二男に預け、家を出た。某大手の建設会社でめざましい活躍をしていたが、眼鏡でずんぐりむっくりという容姿が似ているというだけで人違いのレッドパージの迫害を受け失職。生活のため様々は職を得ていたが、友人のつてで好機をえて、九州電力の採用試験に臨む。希望者多数のなか、試験を抜け、面接試験を通り、採用。だが辞令書がなかったという。人事部付けで採用。成績はダントツであったが、新卒ではなかったということで特別な採用枠ということだったらしい。晩年には自分と妻を退けた親兄弟を引き取り、自らの家の近くに住まわせて面倒を見、最後の日は大好きな生け花を勤しんでいたという。その人に、さようなら。