会津若松三日目

会津の総仕上げは、飯盛山へ。飯盛山は劇的である。齢16.7歳の少年志士等が殉じる為に自刃した地である。その墓からは歴史的事実の通り、鶴ヶ城が遠く微かに小さく見える。これほどの物理的距離感と空気感と精神状態からすれば、その見間違いもまた必然的な事象であろうと気持ちは大いに傾いてくる。飯盛山にはその姿を知ってから是非に訪れてみたいと熱望していた「さざえ堂」が建っている。内部は螺旋階段のみの単純であり珍妙な構造をしており、これは宗教的な精神世界の可視化或いは体験化と見立てていた。大仰に云えば、ダンテ『神曲』の地獄、煉獄、天国を旅するようなもの、或いは富士塚のようなもの。さめた言い方なら、ヴァーチャルをリアライズする装置だと思って間違いはないだろう。施主にすれば人間の精神性を外部化したらこれほど複雑怪奇なものでした。ということでもあろう。少なくとも小生には納得されるw 此処までで会津若松は終わりである。お昼過ぎに磐越道に車を乗せ、来た道を戻り東京へ戻る。行き先は浅草あたり。此処で在京の妻の妹夫婦も同席しての夕餉となった。