帰鴨

松山最終日。0630この日も朝風呂から始まる。0700に朝食バイキング朝カレーにした。時間調整で空港内のカフェノボールで休憩。松山は野球発祥の地、詩人正岡子規がbaseballを野球に日本語化したと云われる。正岡子規の幼名はのぼるであり、店名はこれと野球とをもじっている。正岡は幼少のころのぼさんと呼ばれ、誉れ高い武士であった祖父に薫陶を受け、明治の改新以降もしばらくは曲げを落とさなかったという。また父は早くに他界し幼くして家督を受けたという。まことに小さな国日本が開化期を迎え、西欧を習い近代化の道を歩み始めたころ、それは西から始まり、東はまだまだ江戸期ではなかたろうか。とふと感じる。廃藩置県、自由民権、日清日露戦争、全国的な事象事変があり、明治の御改新は全国に一気に普及し浸透したように思えるが、実際はかなりの地域差があったと思えた。東京とは勃興した西日本での近代化のうねりを、その動きを東日本各地に伝えるハブ的な役割に過ぎなかったのではないだろうか。とさえ、とふと感じる。往時子規がおり、秋山兄弟がおり、漱石が教師をしていた伊予松山は先端の地域でなかったろうか、と勝手に妄想し美化して旅の思い出としたい。また、松山にはあちらこちらに「ことば」があった。漱石子規の通り、「ことばのちから」という名称でまちづくり地域づくりを行っており、俳句のような、フレーズが路面電車に、横断幕に、看板に書かれている。例えば「おとうさんはスカンク おかあさんはライオン」とかとか。その一つ一つがいちいち、刺さる言葉達である。感心してしまう言葉達だらけである。で、やっぱり言葉いいなぁ。と。思ったりする。言葉がまちとひとをつなぐ一つの方法として素晴らしいなぁと。1120JAL1466で松山から羽田に帰る。羽田では空港ターミナル内の「寿司田」にてM先輩にごちそうになる。石垣貝、ほっき貝がやたら甘い。鯖、まぐろがトロトロである。1800前に帰鴨した。子供らは温かく迎えてくれた。有り難い。