白洲次郎

人生かくありたいか、ありたくないかと問われればありたいものだ。この人はよく分からない。ドラマ中でも「おまえは何者だ」と問われること数回。その度「自分の良心のプリンシプルに従っている」と答える。よく分からない。政治家なのか、経済人なのか。肩書きがない。この肩書きのないってこと、素性を気にしないこと、これに依るのでしょう。何事につけ、稀代の素人である当人があれやこれやと歴史上の名だたる人物と丁々発止とやり合うわけで、それはそれは気分のいいものだが、それはそれで置かれた立場や素性を気にしないかどうかに関わってくる。当人自身日本人でありながら日本人のようでない人なので、わかりやすくもむずかしくもある。恵まれていたんだよと言われれば、はい、そうですかと終わってしまいそうだが、振り返れば、正体不明な人物はそこらに居たように思える。それにしても俳優伊勢谷友介は英語堪能だし、二枚目だし、白洲氏と伊勢谷氏は似ていたんじゃないかとも思えてくる。書きたくはないが、書かずに終われそうもない。物語を通じて、使命感は何か、天職を全うしているか、という点は貫かれている。そうそう、最近、それによく出会う。今朝も出会ったし、今夜も夢の中で出会いそう。眼を背けても、体当たりしてくるぞんざいな奴。分かってる。分かってる。間違いないことは、こんな駄文をつらつら連ねること自体、使命感などとは対極に位置することでしょ。職業に使命感は見つけらんない。どの仕事をするかではなく、どう仕事をするかだ。いやいや、それも違う。職業なんて狭い檻の中に使命感を押し込めることなんぞできやしない。どう仕事をするか、ではなく、どう生きるかでしょ。