四十にして惑わず

小生昭和47年生まれなので本厄となります。年はじめに厄よけに参り、また家族からのも厄よけの御札を贈られました。詳細は不明ですがなんらかの「節目」であるのでしょう。自らを戒める時間なのかも。また「厄」は「役」とも言われ、周囲から信頼と期待を集め重要な「役」を与えられる時なのでその役は大切にというお言葉も頂きました。身体の「厄」をよけ、自身の「役」を全うする。節目なのかもしれない。

また、一方で「四十にして惑わず」という言葉があるが、最近は逆によく「惑う」。あれやこれやでほんと「惑って」ばかりだ。自分と孔子はこうも違うのかという文脈ではなくて、じつは、実は、「惑って」いたからこそ、「惑わず」と言ったのではないかと孔子を訝ってみる。そもそも「惑って」いたからこそ、「惑わず」という理解のほうがすんなりとくる。